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死について32

出生前診断検査の研究をしてきた人たちは、純粋に「生まれる前に異常がわかっていれば、良かったろうに」と思っただけで、その検査の普及が優生学の問題に直結したり、一部の人たちを苦しめたり、大反対を受けたり、あるいはそれでビジネスが生まれたりするということまで、予測していなかったかもしれません。

そもそも、医学の進歩がなければ、命は自然淘汰の原理で我々の意思とは無関係に選別されていました。この自然界で生きていけるかいけないか、という原理です。しかしながら、今や我々は遺伝子をも操作できる技術を持っていますので、命の選別すら手中に入ってきたことになります。もちろん、それを制御するために倫理というものが存在するわけですが、それですら人間が決めているので、時代や社会とともに倫理観も変わり、イタチごっこ状態です。

シンガポールでは出産前に胎児異常を見逃すと訴訟になるので、医者たちも神経質になっている嫌いがあり、特にダウン症の検査は必ず勧めなくてはいけない決まりがあるようです。これらの背景もあるためか、出生前診断検査は日本よりも進んでいて、かつ、多くの医療行為が日本より高額な中、この検査だけは「日本よりも低価格」です。先日、当院の産婦人科医から「日本ではまだ導入されていない出生前診断検査を始めることについてどう思うか?」と問われました。当院の小児医療担当医たち全員が「すぐに始めよう」という意見にはなりませんでした。が、結局、我々が議論している間に病院全体で最新の検査に自動的に変更されてしまいました。検査が普及されて行く中、我々が願うのは、我が子がある特性を持っていた場合、それを理由に堕胎するという重荷を背負うかもしれないことも、夫婦で十分に話し合ってから検査に臨んで欲しいということです。勿論、その場で答えが変わることはあるかもしれません。それでも、命に真剣に向き合うという過程が何より大事なのだと思います。

医師 元田 玲奈